競技かるたでもおなじみの小倉百人一首の各歌に自作のイラストを添え、パロディ化しました。ここには現代にも通じるアイロニーもあると、作者は勝手に思っています。

すでに100首分すべて完成し、電子書籍化(PDFファイル)してありますが、まだ世に出していません。

ご参考までに、そのなかから1首分のサンプルをご紹介します。この著作では各首ごとに以下のように見開き2ページで構成され、右ページにイラストと歌人紹介、左ページでコメントが記載されています。

『パロディ百人一首』のページサンプル

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以下このページでは、そのなかからいくつか抜粋して紹介することにします。ただし上記のサンプルとの比較でおわかりにように、添えられている文章は電子書籍のものとは異なり、その多くはかなり簡略化されています。

孤独の水戸黄門: 「誰をかも知る人にせむ高砂の 松も昔の友ならなくに」 ストーリー

誰を友人にしようか、高砂の松も昔からの友人でないのに。

やれやれ、あんまり長生きしすぎるもんじゃないのぉ。あんなに仲がよかった助さんと格さんも先に逝ってしまったわい。

あの高砂の松も昔からの友だちでないのに、さみしいのぉ。

じゃが気を取り直して、そなたたちの分も長生きするぞ、ハッハッハ。

犬猿の温泉入浴:「山里は冬ぞ寂しさまさりける 人目も草もかれぬと思へば」 ストーリー

思うに、山里は冬こそが一番寂しい季節なのだ、人も動物も草も枯れていなくなってしまうので。

山里に厳しい冬がやってきました。飼い主が町に出稼ぎに出てひとりぼっちになってしまった柴犬が山を散歩していると、そこには小さな露天風呂があり、すでに一匹のサルが入浴していました。そこで柴犬もいっしょに入り、「ふたり」で仲よくよもやま話に花を咲かせました。

しかるに、“犬猿の仲” などというのは、人間界で流布されているデマのようです。

招き猫を見るネコ:「立ち別れいなばの山の峰に生ふる まつとし聞かば今帰り来む」 ストーリー

親しい人たちと別れて旅立ち、因幡の国まで来たときに稲羽の山の峰に松が生えていた。もしあなたが私を待っ(松)ていると言っているのを聞いたら、すぐにでも帰ろう。

京の都で因幡の国への単身赴任を命じられ、イヤイヤ旅をしていたオスネコが赴任先近くまで来たとき、松の木の上に左手を上げている「招き猫」が置かれていました。「彼」のガールフレンドが置いたに相違ありません。

オスネコは、「そうか、京の都でオレを呼んでいるんだ」と勝手に思い、すぐに引き返したとか。

左遷の旅立ち:「わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと 人には告げよ海人の釣船」 ストーリー

大海原で私は今から多くの島を目指して漕ぎ出そうとしていると皆に伝えてくれ、漁師の釣り舟よ。

今でいうと差し詰め地方に左遷になり、単身赴任に出発するときの心境でしょうか。離陸した飛行機の窓から見えたツルに対して、都会に残してきた家族・友人によろしく伝えよ、と念じています。なお、秒速数百メートルで航行中の航空機と至近距離ですれちがう物体など、いかに超人的な動体視力をもってしても識別できるわけはありませんが、まあそのような心情から生まれた幻のようなものとご理解ください。

富士山を眺める西郷どん:「田子の浦にうち出でて見れば白妙の 富士の高嶺に雪は降りつつ」 ストーリー

田子の浦の海岸に出て眺めてみると、富士山の高い峰に真っ白な雪が降っているようだ。

富士山に遭遇する機会がなかった西国の人が生まれて初めてこの山を目にした場合の感動を大袈裟に表現した結果、あたかも現在進行形で「雪が降っている」かのように見えたと理解しておきましょう。ここでは西国の鹿児島(薩摩)から仔細あって江戸に向けて旅をしている「西郷どん」という人がいたとします。彼は「こんな神々しい姿をした山は今まで見たことがない。上半分がすべて雪に覆われているではないか。ふるさとの桜島や開聞岳ではこのようなことは決してない。まるで今も雪が降り続いているようだ」(注.江戸ことば訳)と率直に感動するに違いありません。

さくらの幻覚と会話する寅さん:「高砂の尾の上の桜咲きにけり 外山のかすみ立たずもあらなむ」 ストーリー

高い山の上の桜が咲いたことだから、近くの山の霞よ立たないでくれ。

高い山の上の桜も咲きましたが、あいにく下界に漂う霞によって隠されてしまうかもしれません。この光景を見て、テキ屋稼業で旅を続けている寅次郎が妹のさくらの幻影に話かけているようです。

さくら、元気でやっているようだな。おまえとこうしてもっと話していたいのだが、もうすぐおまえの姿も霞に覆われてみえなくなっちまいそうだなぁ。ちくしょう、なんとかしてくれよ、労働者諸君!

なにぃ、頭がいかれて桜に独り言を言っているじゃないかって、それを言っちゃおしまいよ。

呪っている真珠の耳飾りの少女:「忘らるる身をば思はず誓ひてし 人の命の惜しくもあるかな」 ストーリー

あなたに忘れられる私のことはどうでもいい。でも(神罰が下り)あなたの命がなくなってしまうのは惜しいのですが。

この女性の場合、どうやら神罰が下るのを待つよりは、自ら下してしまうようです。

フェルメール「真珠の耳飾りの少女」をモデルにしましたが、小悪魔的な眼差しがこの状況にはぴったりだと思います。

嘆きのマリリン・モンロー: 「わが袖は潮干に見えぬ沖の石の 人こそ知らねかわく間もなし」 ストーリー

他人は知らないけれど、私の袖は干潮のときでも見えない沖の石のように、涙で乾く間もない。

常に海面下にある沖の石のように私の袖が乾く間もないほど泣いているさまです。

ここでは、恋に破れてないているひとりの女性としてご存じの「マリリン」を登場させました。
彼女に対しては、やたらに〝セクシーな〟イメージが先行しがちですが、実は恋、演技も含めて真摯な人生を送った女性でした。とはいえ、悲しみの涙で「袖を濡らす」とまではいかなくとも、「胸の谷間をあふれさせる」という表現はやはり行き過ぎか?

不倫の密会

不倫の密会(女性): 「玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば 忍ぶることの弱りもぞする」 ストーリー
不倫の密会(男性): 「わびぬれば今はたおなじ難波なる みをつくしても逢はむとぞ思ふ」 ストーリー

 A子「ねえ、Bさん、またこうして逢えてホントによかった。この真珠のネックレス、ありがとう。わたしに似合うかしら。あなたはわたしのことを、情熱的な女だと思ってるかもしれないけれど、わたしこう見えても意外とクールに割り切れるところもあるの。そう、あなたがいくら奥さんと別れて、わたしといっしょになるといっても、わたしにはあなたが自分の家族をすてられないことは、よくわかってる。だから、わたしこの辺でもう
身を引かなきゃね。
でも…そうはいっても、この恋心はつのるばかりで、これ以上耐え忍ぶことができません。このまま命がなくなってしまうならそれでもいいの。でなければ、心に秘めたこの恋がばれてしまいそう。そうよ、いっそのこと、この幸せな気分のままあの世に行ってしまいたい!このワインに毒でも入っていればいいのに」

 B氏「A子さん、そのネックレス、とってもよく似合っているよ。でも「死にたい」なんて、何をバカなことをいっているんだ。ボクもこうしてキミと逢っている時間がいちばん幸せなんだ。
でもね、実はこうやってキミとあまりにしょっちゅう逢っているうちに、女房に怪しまれ、ついにこの前、キミとの密会の場を探偵に隠し撮りされてしまったんだ。知ってのとおり、女房の父親はうちの会社の社長だろ、ハハハ(もう身の破滅だ)。
女房に浮気の証拠写真をつきつけられたときはどうしたらいいか、正直うろたえたけれど、もうこうなったら開き直ることにしたよ。落ちるところまで落ちてやる。キミが命がけでこの恋にかけるつもりなら、ボクも自分の身を尽くしても、これからもキミに逢い続けていくつもりだ。いうなれば、ボクらは運命共同体ってわけだ。ハハハ。さあ乾杯しよう!」

A子「・・・・・・・」

あじさいをもつ女性: 「花の色は移りにけりないたづらに わが身世にふるながめせしまに」 ストーリー

花の色は空しく色あせてしまった。自分自身が老いていくことと長雨についてあれこれ思いふけっている間に。

ああ、なんということだろう。いつまでも若く、そして人並み以上にかわいいと思っていたこの身にも“老い”が訪れていたなんて。そういえば、最近鏡を見ると、気になる顔の小じわが増えてきたし、近所の坊やからはついに「おばさん」呼ばわりされたし。 待てよ、このアジサイのようにいったん色あせても、雨にうたれたらまた変わっていくかもしれない。雨よ私の老いを洗い流してくれ! でもそんなバカなことがあろうか。結局は、この長雨のように、私も古(降る)くなっていくという自明の真理を受け入れるしかないのだろうな。
風神のビリヤード: 「白露に風の吹きしく秋の野は つらぬきとめぬ玉ぞ散りける」 ストーリー

草の上の白い露に風がしきりに吹いている秋の野では、ひもで留められていない玉が散ってしまったようだった。

ある年の秋のことでした。このところ、例年になく風のない穏やかな日が続いていたため、風神様はすっかり退屈していました。そこへ、「雨上がりの野原に強風を吹かせよ」との上司の神様の命令が下りました。

このところ手持ちぶさただった風神様は大喜びですが、かといって、これまでずっとヒマだったうっ憤を晴らすためには、何か普段とは変わった方法で風を起こしてみたいと考えました。そこで思い出したのが、この歌です。風神様は、「『秋の野で葉の上の露の玉に風がしきりに吹きつけると、その露が飛び散る様が、まるでひもを通して結んでいない真珠が散るようだ』ということか。そうか、ようし、こうなれば本当に真珠玉を飛び散らせてみるか。とりあえずビリヤードなんかがおもしろそうだぞ。」といって、ビリヤード場へ出かけて行きました。

うさぎのもちつき: 「朝ぼらけ有明の月と見るまでに 吉野の里に降れる白雪」 ストーリー

明け方に有明の月が出ていたのだと思っていたら、これが吉野の里に降っている白い雪であったとは。

ある冬の日の朝、外が明るいので「これは有明の月が出ているのだな」とつぶやくと、となりにいた妻が「月なんか出ていないの。新雪のせいよ」というので窓をあけてみると一面の銀世界。

でもボクは「いや、やっぱり月だ。見ろ、ウサギが餅つきしているじゃないか!」と声を荒げました。

タイタニック:「由良の門を渡る舟人かぢを絶え ゆくへも知らぬ恋のみちかな」ストーリー

由良の河口を渡る舟人が櫂をなくしたように、この自分の恋の道も先行きどうなるのかわからない。

ある日のことでした。一人旅のボクは由良川の対岸に渡るため、小さな渡し船に乗り込みました。そうしたらその舟の船頭さんはなんと妙齢の金髪美人!それで河口を舟出してからしばらくしてもボクの心は変にウキウキしていました。ところがそのうちに、付近の速い潮の流れにその船頭さんの櫂がとられて、流されてしまいました。

でも彼女はあわてふためくどころか、ゆっくりと進行方向を向いて船首に立ち、両腕を真横に伸ばしました。まるで、ある映画の有名なワンシーンのように。そして彼女は、まるで歌を歌うように、優しくこうささやきました。「近かろうと、遠かろうと、あなたがどこにいても、心は生き続ける…」

そのときボクは、漂流と沈没のおそれがあることなんか忘れて、自分のこの恋心の行方について考え、とても幸せな気分でした。

恋に悩む阿修羅:「御垣守衛士のたく火の夜は燃え 昼は消えつつものをこそ思へ」のストーリー

御垣守の衛士のたく火は、夜は燃えて昼は消える。このように恋に思いふけていることだ。

ときとともに激しく推移する男の恋心を、宮廷の衛士が焚くかがり火にたとえています。この心の状態の変動があまりにも極端なので、作者はまるで、複数の顔をもった阿修羅のように、自分自身をみなしています。

すなわち、恋に燃える「夜の顔」、恋に破れた「昼の顔」、そして平静さを装ういつもの顔、といったように。

待ちぼうけ:「今来むといひしばかりに長月の 有明の月を待ち出でつるかな」のストーリー

あなたが今行くよと言ったばかりに、その言葉を信じて待っていたが、もう(夜明けになり)この九月の有明の月が出てきてしまった。

あの女(ひと)が「いま行くよ」というのでずっと公園で待っていたけれど、いつまでたっても来ない。

そのうち、待ちくたびれてブランコに揺られながら電話をかけてみたらもう出ない。

ふと空を見上げるともう夜明け近くになり、有明の月が空しく見える。「おや、ひざが重いぞ」と下に目を移すと、公園のノラネコまで待ちくたびれてひざの上で寝てしまったではないか。

ああ、哀しい!

再会:「瀬をはやみ岩にせかるる滝川の われても末に逢はむとぞ思ふ」のストーリー

浅瀬の川の流れが速いので岩にせき止められた激流が、二つに割れても最後に合流するように、あなたに再会すると思っています。

こうやってブランコですれ違ってキミが見えなくなっても、すぐまた後ろ向きにすれ違って見えるようになるからちっともさみしくないよ。

ちょうど流れる川の水が岩で二つに割れてもすぐにまたいっしょになるように。

悲しい酒:「見せばやな雄島の海人の袖だにも 濡れにぞ濡れし色は変はらず」のストーリー

見せたいものだ。雄島の海人の袖でさえどんなに波に濡れても色は変わらないことを(私は泣きすぎて出た血の涙により袖の色を変えてしまったのに)。

悲しみのあまり出た「血の涙」とは?
たとえば、ひとりの女性が愛する人との別れを忘れるために、ひとり酒場で飲む酒は「別れ涙」の味がするといいます。この「別れ涙」がここでいう「血の涙」かもしれません。

リクルート女子:「寂しさに宿を立ち出でてながむれば いづくも同じ秋の夕暮れ」のストーリー

寂しさを感じて外に出てまわりをながめてみれば、どこも同じように寂しい秋の夕暮れなのだ。

懸命にリクルート活動を繰り広げているものの、なかなか結果が得られない女子学生。秋の街を歩き回ってみれば、路上には無数のイチョウの落ち葉が。その一枚をひろってじっと見つめてみると、こんな憂うつな気分に陥っているのは自分だけではないということが感じられたのです。「そうだ、つらいのは私だけではないんだ」と。

バレちゃったみたい:「忍ぶれど色に出でにけりわが恋は ものや思ふと人の問ふまで」のストーリー

こらえていても私の恋心は顔に出てしまった。恋しているのではと人が尋ねるほどに。

好きなあの女(こ)のことを妹のやつには隠していたんだけれど、どうも最近バレたみたいで、顔をあわせるたびに「どうせフラれるんでしょ」とバカにされるようになった。

そりゃそうだ。このごろではいつもこうやっておしゃれに気をつかってばかりいるからな。

宇宙遊泳:「天の原ふりさけ見れば春日なる 三笠の山に出でし月かも」ストーリー

大空の遠くを眺めると月が見えるが、この月は春日大社のあたりの三笠の山に出ていたような月なのだろうか。

思えば遠くに来たものだ。もしかしたらこのまま “宇宙ゴミ” がぶつかってきて、もうチリのように霧散してしまい地球に帰還できないかもしれない。そう考えたら、こうして遊泳中に見る月がいっそう狂おしく感じられる。そういえばボクの足の下はあの懐かしい日本のようだ。今ごろ地上の人たちはこの同じ月を眺めながらどういう思いにふけっているのだろうか。

2件のコメント

ひろ · 2019年4月29日 17:02

書籍サンプルページ(91番の歌)のイラストには緑の縁取りがありましたが、他のイラストにはないのですか?

    Akashi-Ryo · 2019年4月29日 18:18

    ご指摘の「緑の縁取り」は、百人一首競技かるたの読み札を意識してつけられたもので単なる遊び心です(笑い)。この縁取りはすべての歌のイラストにありますが、この紹介ページのイラストでは見やすくするためにこれを取り除いてあります。

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