農民とすずめ:「秋の田の仮庵の庵の苫をあらみ わが衣手は露にぬれつつ」のストーリー

(1番)秋の田の仮庵の庵の苫をあらみ わが衣手は露にぬれつつ
 秋の田の作業小屋の屋根の網目が荒いので、私の袖が露に濡れていくということだ。


 その昔、奈良時代以前、田んぼに隣接して見張り小屋のようなものがあって、そこで収穫近い稲の番をしたそうです。当時はただでさえみんな貧しく、一般の農民などはほとんど三竪穴式住居のような家に住んでいたくらいですから、見張り小屋の屋根(この場合は苫で編んだだけ)は夜露さえしのげないほどすきまだらけであったとのことです。この時代の農民がどのような衣服を着ていたのかはまったく想像もつきませんが、おそらくその粗末な衣服の袖が露に濡れたのでしょう。
 ところで、この歌の作者が天皇であることは、注目に値すると思います。その当時はまだ有力豪族に対する朝廷の権力は確立されてなく、〝天皇〟といえども、存在しているだけで国が治まり、租税(のようなもの)が自動的に入ってくるわけではありませんでした。したがって、天皇自らが、この歌のような、農民の生活と苦労を知る機会を持たざるを得なかったということでしょう。
 手塩にかけて育てた米の大切さは現在でも変わりはありません。この農家の男性は、冷え込んだ秋の夜、収穫したばかりの稲穂の一本を手に取ってしみじみと感慨深く見つめています。いつの間にか肩に乗っかってきた一羽のスズメのことなぞお構いなしに。

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