この歌の作者伊勢は父親の任地が伊勢であったので。この通称で呼ばれ、宇多天皇の中宮の温子(おんし)に仕えていました。そしてそのうちに、温子の兄に恋したが破れ、やがて宇多天皇の皇子を生んで「伊勢御息所(みやすどころ)」となりました。
ところがこの皇子が早世し、さらに宇多天皇の出家後にその別の皇子の一人(もちろん母親は彼女ではありません)敦慶(あつよし)親王と結ばれて、のちの女流歌人中務(なかつかさ)を生んだとのこと。
以上、彼女を中心とした家系図は複雑極まりないものになります。自らの恋心に忠実に生きた人生といってしまえばそれまでですが、その恋のお相手にこれだけVIPをそろえると、現在なら間違いなく「ワイドショーの女王」といったところでしょう。
この絵では、彼女のこの常に消えることのない恋心を、背後のかがり火で表しました。恋する人がほんのわずかの間(難波潟のアシの節の間)すら逢ってくれなければ、彼女の胸はこの火で焼け焦げ、相手への恨めしい気持ちが高じて、思わず自らの髪をかみながら嘆いていたかもしれません。
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