伊勢 逢いたい:「難波潟みじかき芦のふしの間も 逢はでこの世を過ぐしてよとや」のストーリー

(19番)難波潟みじかき芦のふしの間も 逢はでこの世を過ぐしてよとや
 あの難波潟に生えている短い芦の節の間のようにわずかな時間でも、逢わないでこの世を過ごせとあなたは言うのでしょうか。


 この歌の作者伊勢は父親の任地が伊勢であったので。この通称で呼ばれ、宇多天皇の中宮の温子(おんし)に仕えていました。そしてそのうちに、温子の兄に恋したが破れ、やがて宇多天皇の皇子を生んで「伊勢御息所(みやすどころ)」となりました。
 ところがこの皇子が早世し、さらに宇多天皇の出家後にその別の皇子の一人(もちろん母親は彼女ではありません)敦慶(あつよし)親王と結ばれて、のちの女流歌人中務(なかつかさ)を生んだとのこと。
 以上、彼女を中心とした家系図は複雑極まりないものになります。自らの恋心に忠実に生きた人生といってしまえばそれまでですが、その恋のお相手にこれだけVIPをそろえると、現在なら間違いなく「ワイドショーの女王」といったところでしょう。
 この絵では、彼女のこの常に消えることのない恋心を、背後のかがり火で表しました。恋する人がほんのわずかの間(難波潟のアシの節の間)すら逢ってくれなければ、彼女の胸はこの火で焼け焦げ、相手への恨めしい気持ちが高じて、思わず自らの髪をかみながら嘆いていたかもしれません。

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