コアラ 桜「ひさかたの光のどけき春の日に 静心なく花の散るらむ」のストーリー

(33番)ひさかたの光のどけき春の日に 静心なく花の散るらむ
 こんな光がのどかな春の日に、どうして落ち着きなく桜の花が散っているのだろうか。


 「ひさかたの」は次の「光」にかかる枕詞として使われていますが、この歌にはほかに掛詞や序詞といった〝技巧〟のようなものは凝らされていません。私はこの程度の「飾りっ気」が過不足なくちょうどよいと思います。また、「静心なく」と桜を擬人化している表現も気に入っています。というわけで、よく古文の教科書などで取り上げられていることもあり、この歌は私にとってなじみの深いものとなっています。
 ところで、この歌の情景をどう絵に表したらいいでしょうか。「ある風流な文人がのどかな春の日の下、桜が散るのを見て、はらはらと涙をながしている」というのはあまりに平凡でインパクトに欠けます。そこで思いっきり奇想天外に、「コアラが桜の木に登り、散りゆく花びらをすぐ間近に見て感傷の涙をながす」というのはおもしろそう(笑い)です。〝彼〟はこう心情を吐露します。
 「ボクだって、うららかな春の日には、好物のユーカリばかりでなく、あでやかな桜の木にだって登ってみたくなります。でも、ちょっと遅すぎたかな。花の散るのがおさまらないみたい。ボクってとってもナイーブだから、こういうときは涙があふれるのを抑えられないんだなぁ」

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