長生きは、必ずしもめでたいばかりとは限りません。老いれば老いるほど、友人、知人、家族との死に別れにあうことになり、親しい人がそのうちにいなくなってしまうという悲哀を味わうことにもなります。
この歌は、そのような孤独な老人が浜辺の松の木(松は長寿を象徴している)をしみじみと見て、「松よ、キミも長生きしているようだが、でもキミは(植物だから)ワシの友人ではないんだよ」と語りかけている状況を詠んだといわれます。
ところでここに、同じような境遇に陥った〝黄門様〟と呼ばれるお年寄りがいます。彼も浜辺の松を見ながら、つぶやいています。
「あまり長生きしすぎるもんじゃないのぉ。あんなに仲が良かった助さん、格さんも先に逝ってしもうたわい。これからはいったい誰を友としようか。さみしい余生じゃのぉ。あの『高砂の松』ですらむかしからの友人ではないのに」
ここで黄門様はあの思い出の印籠を取り出してみました。すると松の木に、懐かしい助さんと格さんの顔が浮かんでくるではありませんか。彼はこれで吹っ切れたようです。
「じゃが気を取り直して、そなたたちの分も生きるぞ。ハッハッハッ!」
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