富士山を眺める西郷どん:「田子の浦にうち出でて見れば白妙の 富士の高嶺に雪は降りつつ」 ストーリー

(4番)田子の浦にうちいでて見れば白妙の 富士の高嶺に雪はふりつつ
 田子の浦の海岸に出て眺めてみると、富士山の高い峰に真っ白な雪が降っているようだ。


 最後の「雪は降りつつ」は「(今)雪が降っている」ということですが、現に雪が降っている最中の富士山の峰は、天候状態からして、雲や霧に隠されているのでふもとから見えるわけはありません。実際に奈良時代に山部赤人が詠んだという元歌は「田子の浦ゆうち出でてみれば真白にぞ 富士の高嶺に雪は降りける」であり、「雪が降っていた」と過去のことを述べています。つまり実際に富士山を見たと思われる赤人と違い、この歌をのちの歌集に選んだ人物は、実際に富士山を見たことがないのかもしれません。
 そこで、富士山に遭遇する機会がなかった西国の人が生まれて初めてこの山を目にした際、その壮大さに対する感動を大袈裟に表現した結果、あたかも現在進行形で「雪が降っている」かのように見えたと理解しておきましょう。
 たとえば、西国の薩摩から仔細あって江戸に向けて旅をしている「西郷(せご)どん」という人がいたとします。彼は「こんな神々しい姿をした山は今まで見たことがない。上半分がすべて雪に覆われているではないか。ふるさとの桜島や開聞岳ではこのようなことはない。まるで今も雪が降り続いているようだ」と率直に感動するに違いありません。

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