伊勢大輔 奈良の都:「いにしへの奈良の都の八重桜 けふ九重ににほひぬるかな」のストーリー

(61番)いにしへの奈良の都の八重桜 けふ九重ににほひぬるかな
 いにしえの奈良の都に咲いていた八重桜が、きょうこの宮中で美しく咲き誇っていることだ。


 この歌の背景はこうです。奈良から宮中に八重桜が届けられました。この献上品を受け取る役割を担っていたのは本来は紫式部でしたが、彼女はこれを伊勢大輔に譲りました。伊勢を試すという(意地悪い?)意図があったのかもしれません。そしてさらにこのとき、権勢家の藤原道長から「この場ですぐに歌を詠め」と命じられ、彼女は即興でこう詠んだとされています。
 「いにしへ」(古き時代)と「けふ」(今日)、および、八重桜の「八重」と「九重」(ここのへ)(宮中)の対比など、とても即興で詠んだとは思えないほどの見事な出来栄えです。
 と、この歌に関する通説を述べてきました。今回は残念ながら、これ以外の発想が浮かびませんでしたので、次にこの絵について説明することにします。背景の建物のシルエットは、最近復元された平城宮の大極殿です。舞い散る桜の花びらで、百花繚乱の古都奈良をイメージしました。
 ところで、今回新たに得た認識ですが、平安京は、政教分離を図るため大寺院を中心部に置かなかったなど、平城京をある意味〝反面教師〟として作られたにも関わらず、平安時代当時も「懐かしさ」を感じる対象であったということです。

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