スマホを見るモナリザ:「夜をこめて鳥のそら音ははかるとも よに逢坂の関は許さ」ストーリー

(62番)夜をこめて鳥の空音(そらね)は謀るとも よに逢坂の関は許さじ
 夜がまだ明けていないうちに鶏の鳴きまねをしてだまそうとしても、逢坂の関は決して許さないでしょう。


 この歌は清少納言とその友人の藤原行成とのやりとりがもとになっています。メールまたはLINE風に表すと次のようになります。
 (清少納言のもとを藤原行成が訪問中)
 「明日用事があるから帰るよ」
 「しょうがないわね」
 (行成は帰る。翌朝、またメール)
 「実をいうと昨夜は、鶏の鳴き声が聞こえたので、朝になったと思い、帰ってしまったんだ」
 (中国の孟嘗君(もうしょうくん)が函谷関(かんこくかん)という関所を通って敵からのがれるため、部下に鶏の鳴き声を真似させて役人に夜が明けたと勘違いさせ、門を開けさせたとの故事があることから)
 「あなたが聞いたのは、鶏の鳴き声でなくて鳴き真似でしょう」
 「実はそうなんだ。函谷関の関ではなくて、逢坂(あなたに逢いたい)の関だ」
 「鶏の鳴き真似では逢坂の関は開きませんよ。(もう逢わないわ。)ふざけないで!」
 見事に一本取った形の清少納言も、実は行成に途中で帰られてしまったわけですから、「してやったり」の微笑の中に怒りの気持ちも含んでいたかもしれません。そのときの表情は、例の「モナリザの微笑」のようなものだったと思われますが、いかがでしょう。

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