ニホンカモシカ:「もろともにあはれと思え山桜 花より外に知る人もなし」のストーリー

(66番)もろともにあはれと思え山桜 花より外に知る人もなし
 山桜よ、いっしょに私をいとしいと思ってくれ、おまえ以外に私の心を知るものはいないのだから。


 ひとり山にこもって修行を続けていると、何か自分に神秘的な力のようなものが湧いてくるように感じられるのでしょうか。自分以外の人間とのつながりを一切断った孤独状態、あるいは断食といった極限的生活環境が長期に継続した結果のある種の精神的「変化」によって、このような感覚が生じるのであるとも、私には思われます。
 作者がこの境地に達したとき、ふと見ると、目の前に一輪の山桜が咲いていました。通常の精神状態であれば、この山桜に対して「美しいなあ」とか「可憐だなあ」という、作者の側から一方向のみの感情を投げかけますが、修行の〝成果〟により、感情を持たないはずのこの山桜との双方向の感情の交流が成立するようになると思えたのでしょう。
 ところで、ここで描いたニホンカモシカは、その「孤高的風貌」から、私が勝手にモデルとして取り上げたものであり、実際のその生態は、この歌の意味とは無関係です(笑い)。この絵のように、ニホンカモシカが切り立った狭い岩山の頂に立ち、その近くにもし山桜の枝があったとしたら、イメージ的にはピッタリに見えませんか。

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