ペンギンの遊泳:「わたの原漕ぎ出でて見れば久かたの 雲ゐにまがふ沖つ白波」のストーリー

(76番)わたの原漕ぎ出でて見れば久かたの 雲ゐにまがふ沖つ白波
 広い海原を漕ぎ出してみれば、雲と区別がつかないような沖の白波である。


 上記の解説では、沖の白波が雲と区別がつかないとなりますが、しかし自分の経験では、はるか水平線付近の白波はよほどの大波でない限り、普通の視力ではこれを「波」として識別できるわけがなく、したがってこれを雲と見まちがえるはずもありえません。これは、水平線というものが極めて遠くに見えるものであるという先入観から来ています。
 そこで、比較的高い視線からではなく、当時の吹けば飛ぶような小舟に乗り、そこから沖をながめたと仮定すればどうでしょうか。その場合、その視線は海面すれすれになり、水平線というよりも「海と空の境目」はかなり近くに見え、この歌のような光景が見られるかもしれません。そういえば、海水浴に行き、首から上だけを海面上に出して浮かび、沖の方を見たときは、もしかしたら、こんな感じだったでしょうか。
 以上、長々とつまらないへ理屈を聞かせてきました(笑い)が、その結論として、「沖に向かって泳ぐペンギンの視線から見た世界」にたとえて歌の状況を描いてみました。要は、「視線が低い」ということを表現すればいいわけで、このほうが、「私が海水浴で見た光景」をテーマとするよりはカワイイと思います。

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