須磨の関守:「淡路島かよふ千鳥の鳴く声に いく夜寝覚めぬ須磨の関守」のストーリー

(78番)淡路島かよふ千鳥の鳴く声に いく夜寝覚めぬ須磨の関守
 淡路島へ通ってくる千鳥の鳴く声に、いく度目を覚まされたことだろうか。須磨の関守は。


 その昔、摂津と播磨の国境(現在の神戸市須磨区)に須磨の関が置かれていたそうですが、早くも八世紀に廃止され、それ以降平安時代になっても「須磨」といえばさみしい場所の代名詞的なところであり、罪の比較的軽い流罪の流刑地になっていたそうです。
 『源氏物語』の「須磨」の帖では、光源氏が、帝(光源氏の腹違いの兄)の寵愛を受けていた朧月夜という女御を寝取ってしまったことを口実に、反対者から謀反の疑いをかけられ、裁きを受ける前に自ら須磨の地に蟄居して大変寂しく暮らしたことが書かれています。この生活の中で光源氏が詠んだ「友千鳥もろ声に鳴く暁はひとり寝ざめの床もたのもし」という歌を、作者は念頭に置いたといわれています。
 ところで、関守はなぜチドリの鳴き声で目を覚ましてしまうのでしょうか。その鳴き声が何か哀愁を込めたような旋律を含んでいたのでしょうか。それともその鳴き声以外にいっさい物音がしない極度の静寂さのために、よく寝つけない状態だったのでしょうか。都会の喧騒に慣れると、むしろ軽い騒音を聞くことが安眠のための必須条件になることもありえますので、個人的には後者のような考えです。

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