慈円 僧 京都:「おほけなくうき世の民におほふかな わが立つ杣に墨染の袖」のストーリー

(95番)おほけなくうき世の民におほふかな わが立つ杣に墨染の袖
 恐れ多いことだが、このつらい世の中の民衆を包み込んでやろう。私が立っているこの比叡山に住み、墨染め袖で。


 「岨(そま)」とは、直接には、植林して育てた材木を切りだす山のことですが、ここでは、最澄が比叡山に根本中堂を建立したときに詠んだ歌にちなんで比叡山のことを指します。また、作者の慈円は高校の日本史に出てきた『愚管抄』という歴史書を表した僧で、大僧正という、僧侶の最高の地位に登りつめました。
 ですから、これほどの僧侶の「民衆を私の僧衣で覆って(守って)やろう」という意思を下手に曲解でもしようものなら、場合によっては宗教に対する冒涜にもなりかねません。そこで今回、ネットで検索した百人一首かるたの読み札の絵をもとに、彼の人物像を描くのみにとどめました。ただし背景は現代の京都(東寺の五重塔と新幹線)です。要するにこの救民の願いが現在でも生きていて、さらに新幹線の行先表示(細かすぎますが)が、「京都からののぞみ、東京にも行け」という意味であるということです(笑い)。
 ところで、このモデルとした絵の慈円の服装は、この歌にある通常の僧の仕事着である墨染めの僧衣ではなく大僧正の姿にされていますが、これでは僧として民衆を救うのではなく、〝大僧正〟として民の上に君臨するようなイメージになってしまいますので、これにはあまり同意できません。

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