出だしの「浅茅生の小野の篠原」は、「篠原」の「しの」にかけて「しのぶれど」を引き出すのがその役割であるとのことです。そうすると、この歌は実質的には、「しのぶれどあまりてなどか人の恋しき」の五・七・五だけよいことになり、そしてこの中に季語が含まれていないので、俳句ではなく、恋愛感情を詠んだ〝川柳〟であるということになります。しかし、川柳ならば、「サラリーマン川柳」にもあるように、その句の中にユーモアや風刺の意味を含んでいなければなりません。
このような考え方を前提とすると、この歌の評価が結局「川柳以下」となってしまいます。だから、この「浅茅生の…」の部分を、単なる序詞にすぎないと解釈してはいけないことなります。
そう思い直してこの歌全体の意味を再考すると、目の前の篠原にそよ風が吹いてサラサラと音を立てている ― そのような印象的な光景に触発され、いとしい女性のことが目に浮かんでくる。あるいは、篠原の陰から、庭にいるその女性をそっとのぞき見ている。というイメージが浮かびました。ところで、この男性の目の中の女性はもしかしたら、前回と同一人物?実は、彼は「伊勢さん」の〝意中の人〟の一人、ということか(笑い)。
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