定年後の一人住まいと赤とんぼ: 「八重むぐら茂れる宿の寂しきに 人こそ見えね秋は来にけり」 ストーリー

(47番)八重葎しげれる宿のさびしきに 人こそ見えね秋は来にけり
 つる草(または一般的に雑草の例え)が生い茂っている宿の寂しさ。人は見当たらないが秋が来てしまったことだ。


 四十年以上もの間、仕事一筋に生きてきたX氏。家族のことをほとんど顧みることなく、連日早朝から深夜まで働きづめに働き、そのかいあって、ささやかな一戸建てのマイホームを手に入れることができ、そして住宅ローン完済後ほどなくして定年を迎えました。
 ところが、さあこれから夫婦だけで静かな老後を、というときになって、妻が急病で先立ってしまいました。
 大きな悲しみと喪失感でなかば自暴自棄になったX氏は、日常生活が乱れ、もともと家事にほとんど関わってこなかっただけに、室内はすっかり散らかり、庭も雑草で荒れ放題になりました。また少ない年金収入では家のリフォームどころではないため、柱や壁も老朽化が進んで朽ちかけています。
 その上、在職時代にあんなに多かった訪問客も、実はその大半が職場関係や妻の近所づきあいの人たちだったことから、今ではこのボロ家を訪れる人は皆無になりました。
 そんなある秋の日、人生の無常観にさいなまれたX氏が軒先で呆然としていると、目の前に何匹かの赤トンボが。「そうか、こんなさびしい家にも季節はめぐり、秋はやってくるんだ。自然を体で感じて暮らしていくのも人生の生き方のひとつだな」

この歌のストーリーは小説『八重葎』のモチーフになっています。

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