ー パロディ百人一首 ー

嘆きのマリリン・モンロー: 「わが袖は潮干に見えぬ沖の石の 人こそ知らねかわく間もなし」 ストーリー

(92番)わが袖は潮干に見えぬ沖の石の 人こそ知らね乾く間もなし
 他人は知らないけれど、私の袖は干潮のときでも見えない沖の石のように、涙で乾く間もない。


 右にある「涙で袖が濡れる」というような表現は、「トラの涙」にある「袖をしぼる」と同様に、恋心で涙が止まらないたとえに使われている大げさな表現です。
 そういえば、この歌に出てくる「沖の石」は、やはり「トラの涙」に出てくる「末の松山」とともに同じ宮城県多賀城市の、お互いにすぐ近い場所にあり、常に海面下にあり見えることのないことから、「乾く間もない」もののたとえとして使われています。
 ところで、何のためにこんなに激しく泣くのかというと、百人一首の場合はたいてい色恋ごとに関してです。この歌の場合、作者の女性は自分がいかに切ない恋をしているかをいいたかったわけですが、これを表す絵のモデルとして、そのまま「涙で袖が乾かない」女性ではなく、もう少し身近でわかりやすい女性を登場させましょう。
 そうです。よくご存じの「マリリン」です。彼女に対しては、やたらに〝セクシーな〟イメージが先行しがちですが、実は恋、演技も含めて真摯な人生を送った女性でした。ここではマリリンが、悲しみの涙で「袖を濡らす」とまではいかなくとも、「胸の谷間をあふれさせる」、という程度の表現にとどめました(これでも十分大げさですが)。

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